大人の寺子屋(第7回、11月3日)

11月3日、第7回大人の寺子屋を行いました!


今回は、『信長公記』巻十五の中段を読みました。

初めに、かわら版について事務局長の永盛さんが説明し、

本文の内容を主幹である住職が話をしました。


武田氏を滅ぼした信長は、信濃・甲斐国に赴き、

明智光秀や織田信澄ら武将に陣取りを指示します。

信長の陣に木曽義昌、穴山梅雪、小笠原信嶺ら旧武田家臣が挨拶。

旧武田領を川尻秀隆、徳川家康、滝川一益らに分配。

また高遠城を攻略した織田信忠に褒美を与え、天下の実権も譲ろうと伝えます。

甲斐・信濃両国に、余分な税や関所の通行税を徴収してはならないなど、

訓令を発布し、民衆の生活を安堵して、支持を得られます。

甲斐から駿河、遠江、三河、美濃を経て、安土城へ帰りますが、

途中で浅間神社、白糸の滝、田子の浦、三保の松原などに寄ります。


羽柴秀吉は、信長の子で養子となった羽柴秀勝の具足はじめを行い、初陣を補佐します。

そして備中の宿面塚城を攻略、高松城を水攻めします。

織田信孝は、信長から阿波国を賜り、長宗我部元親を征伐するために、

四国への渡航を準備します。

徳川家康は、甲斐から帰国する信長の道中、街道を整備し、橋を架け、

陣屋を建てて接待をしました。

信長から、穴山梅雪とともに安土と京で接待を受けます。

森長可は、信濃北部の4郡を賜り、飯山一揆を制圧。


この頃、九州のキリシタン大名である大友宗麟、大村純忠、有馬晴信は、

天正遣欧少年使節を派遣。

使節団は、ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見、南蛮文化を吸収して、1590年帰国。

しかし、この頃は豊臣秀吉が伴天連追放令、

さらに徳川幕府も禁教令を出して、キリスト教の布教を禁止します。

そのため、使節団の伊東マンショらは帰国後に不遇に遭います。


次回は、いよいよ『信長公記』の最終回になります。

12月1日(金)18時半より、おおふなぽーと2階会議室で行います♬


本増寺

岩手県大船渡市にある日蓮宗大船山本増寺のホームページです。 大船渡市の本増寺、住田町の本住寺、奥州市の蓮久寺、仙台市の本増寺別院の情報をUPしていきます。

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