大人の寺子屋(第6回、10月13日)
10月13日、第6回大人の寺子屋を開催いたしました!
今回は、『信長公記』巻15(最終巻)の前半部を読みました。
天正9年(1582年)信長49歳の時です。
かわら版については、事務局の文上人が説明しました。
主幹である住職が、本文の内容を読み進めました。
・年頭に出仕した諸大名に安土城内を巡覧させます。
☞後に、全国で天守閣や石垣、城下町などが造られる模範となりました。
・安土で左義長(どんど焼き)が行われます。
・ 織田信張:雑賀に出陣、土橋守重の館を攻略し残党を討つ。
・しばらく中断していた伊勢大神宮の建て替え(式年遷宮)に寄進。
【甲州征伐】
・武田方の木曽義昌が織田方に転じたことが契機に。
・美濃から信長・信忠、駿河から徳川家康、関東から北条氏政、飛騨から金森長近が出陣。
・松尾城の小笠原信嶺が織田方に、駿河の穴山梅雪が徳川方に寝返り。
・信忠軍、仁科盛信が立て籠もる高遠城を落城。
・天目山の戦いで武田軍破れ、勝頼自害(37歳)、信勝(勝頼の子)も討死(16歳)。
☞武田家(信虎、信玄、勝頼の三代)が消滅。
・家康に駿河、滝川一益に上野・信濃2郡、河尻秀隆に甲斐、森長可に信濃北部4郡を贈与。
戦国大名として有名な武田家が滅びました。
戦が続いたことで領民への過度な税や労役による負担が大きかったこと、
同盟を結んでいた北条氏政と決裂したこと、
長篠の戦で重臣たちをたくさん失い、信頼のおける重臣がいなかったことなど、
武田家が滅亡した理由は様々あります。
人心を掴むこと、信頼関係を得る事の大切さは、
古今東西変わらず、リーダーに必要なことですね。
次回は、『信長公記』巻15の中間部、旧武田領の分配と戦後処理、
信長の甲州からの凱旋と家康の接待、秀吉の備中高松城攻めについて
読み進めていきます。
11月3日(金・祝)18時30分より、おおふなぽーと2階会議室で行います♬
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