大人の寺子屋(第6回、10月7日)

10月7日、第6回大人の寺子屋を行いました!

今回は、『信長公記』巻六を読みました。


最初に、かわら版について事務局長の永盛さんから説明して頂きました。

15代将軍・足利義昭は、織田信長に対して謀反を起こしますが、

信長軍に囲まれていったん和睦します。

しかし、再び挙兵をして宇治・槇島城に立て籠もりますが、

信長軍に攻撃されて降参し、京都を追放されてしまいます。

これをもって、室町幕府は滅亡します。

その後、信長は朝倉・浅井氏や長島の一向一揆をはじめとする

反信長勢力を討ち滅ぼし、天下統一へと突き進みます。

一方、義昭は流浪の後、備後国の鞆の浦で鞆幕府を樹立、

反信長の運動を進めます。


続いて、本文の内容について、主幹である住職が説明しました。

信長は、将軍義昭の振る舞いが目に余ることとして、

意見書を提出しました(異見十七ヵ条)。

これは、今日のリーダーに求められることでもあります。

しかし、義昭はこれを耳ざわりとして聞き入れず、

逆に信長を討ち取ろうと、浅井・朝倉・武田信玄など信長包囲網を作ります。

信長の苦戦を知り、ついに義昭は謀反を起こします。

信長は予期していたかのように、義昭方の石山城と今堅田城を攻め落とし、

将軍の二条御所を包囲します。

幕臣だった細川藤孝と荒木村重は義昭を見限り、信長の味方となります。

正親町天皇の勅命で、義昭と信長の和睦が成立。

しかし、義昭は信長との和睦を破棄、宇治の槇島城で挙兵。

信長は槇島城を攻撃して、あえなく義昭は降伏。

河内の若江城に追放され、室町幕府はここに滅亡します。

信長は、戦乱で迷惑かけた町人たちに対し諸税を免除し、街の復興を進めます。

信長は、さらに朝倉義景の一乗谷を攻略し、越前を平定。

浅井長政の小谷城を攻略し、浅井親子は切腹。

わずかひと月で、越前と近江を平定します。


ところで、浅井長政に嫁いでいたお市の方は、どのような行動をしたのでしょう?

小谷城落城の際、長政と運命を共にすることを望んだようですが、

お市の方と3人の娘たちは救助されました。

一方、当時の政略結婚には、外交官や間諜としての役割がありました。

長政が信長を裏切った際、信長に袋の両端を縛った「小豆の袋」を送り、

挟み撃ちの危機を伝えたという逸話があります。

これは後世の創作と言われていますが、いろいろと情報は伝えていたと思われます。


次回は、11月4日(金)18時30分から、おおふなぽーと2階会議室で行います。

『信長公記』巻七を読み進めます。

歴史から学ぶことは多いですね♬



本増寺

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