大人の寺子屋(第5回、9月2日)
9月2日、第5回大人の寺子屋を開催しました!
今回は、『信長公記』巻四~五を読みました。
最初に、かわら版を事務局長の永盛さんが説明してくれました。
時代は、元亀2~3年(1571~72年)信長38~39歳の頃。
信長包囲網が形成され、越前・朝倉氏、近江・浅井氏、甲斐・武田氏、
比叡山延暦寺、西山本願寺、長島一向一揆などが信長と対立します。
信長は、この窮地をどう対処したのか、とても気になる所です。
比叡山延暦寺には「不滅の法灯」があります。
1200年間不滅と言われ、現在も灯っていますが、その理由は?
これは、天文12年(1543年)山形・立石寺再建の際、分灯しておいた法灯が、
元亀2年(1571年)比叡山焼き討ちによる戦乱で法灯が消えたため、
立石寺から再分灯して復活させることが出来ました。
また、気を抜くと油が断たれて火が消えることから、
「油断」の語源にもなっています。
本文の内容については、主幹である住職が説明しました。
近江の佐和山城を接収し、丹羽秀長を城代として置きます。
箕浦の合戦では、木下藤吉郎が浅井長政と戦い、長政は兵を撤収。
大田口の戦いでは、一向一揆を攻撃し、志村城、金が森城を攻略。
比叡山延暦寺の焼き討ち。
これは、僧たちの日常行動は出家の道に外れ、浅井・朝倉勢に加担したことが
信長の怒りを買い、警告を無視したためと言われています。
一方で、荒廃した天皇の内裏を修理します。
信長の長男・信忠が元服し、具足初めを行い、親子で浅井長政の居城へ進撃。
石山本願寺と和睦し、門跡の顕如が絵画・茶碗を信長に献上。
三好義継、松永久秀と共謀し謀反を起こしますが、信長軍に攻められて退却。
三方ヶ原の合戦では、織田・徳川軍は大敗。
家康は『徳川家康三方ヶ原戦役画像』を自戒のため描かせました(説)。
しかし翌年、信玄は病死して武田軍は甲斐に撤退します。
もし、信玄が長生きして京に攻め込んでいたら、どうなっていたのでしょう?
次回は、10月7日(金)に行います。
『信長公記』巻六を読みます。
将軍義昭は挙兵するも、追放されて室町幕府は滅亡します。
浅井・朝倉を滅ぼし、近江・越前国を平定します。
歴史の醍醐味を堪能しましょう♬
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