大人の寺子屋(第6回、12月4日)

12月4日、第6回大人の寺子屋をおおふなぽーと2階会議室にて行いました!

今年は、これが最後の開催となります。

今回は、『太平記』巻第28~29を読みました。


最初に、今回の概要であるかわら版について

事務局長の永盛さんから説明をして頂きました。

室町幕府設立の立役者の一人だった足利直義は、

高師直との確執により都を逃れて、なんと政敵である南朝(吉野)と和睦します。

一般的には、ここから観応の擾乱が始まります。

北朝方は、足利尊氏・義詮親子、高師直・師泰兄弟、光厳・光明上皇、崇光天皇。

南朝方は、足利直義・直冬(養子)、桃井直常兄弟、和田・楠木一族、後村上天皇。

争乱がまだまだ続きます。


本文の内容について、主幹である住職が説明をしました。

足利直冬を討つために備前国(岡山)にいた足利尊氏は、

直義が挙兵したことを知り、急いで京に戻った。

桃井軍が京に侵入したが、尊氏軍が戻ってきて奪還。

小清水の戦いで敗れた尊氏は、死を覚悟するが、直義と和睦が成立する。

尊氏は直義と一緒に京に戻るが、高一族は上杉・畠山の家来に見つかり殺害される。

一時的に平穏を取り戻したが、反直義の動きがあり、

直義は再び京を脱出し、北陸から鎌倉へ逃げた。

尊氏は、直義追討のために鎌倉に軍を進め、薩多山の合戦で勝利した。

再び和睦となり、尊氏と直義は鎌倉に入るも、

直義は幽閉されて病死した(毒殺説も)。

京では、南朝軍が攻めてくるのを恐れた足利義詮が、南朝と和睦。

油断した義詮は、南朝軍に攻められて京を脱出。

取り残された光厳・光明上皇・崇光天皇は捕まり、吉野の賀名生に幽閉される。


味方同士が敵となり、敵同士が味方となり、

また京を奪還したり脱出したりと、情勢が二転三転する状況となり、

幕府の基盤がなかなか構築されませんでした。

リーダーたちが政争を繰り広げていては、国が安泰にならないということは

いつの時代でも同じですね。

南北朝の争乱はまだまだ続きます。


次回は、令和3年4月2日(金)の予定です。

『太平記』巻第30から読み進めます。

歴史を学び、新たな時代に備えましょう!!



本増寺

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