大人の寺子屋(第3回、9月4日)

9月4日、第3回大人の寺子屋を、おおふなぽーと2階会議室にて行いました!


今回は、『太平記』巻第二十二~二十三を読みました。

かわら版について、事務局長の永盛さんから説明して頂きました。


南北朝時代、気仙地方はどのような様子であったかというと、

大船渡市史に掲載されていました。

『中央の戦乱の余波を受けて、気仙の豪族たちも在地豪族の「金氏」や

奥州奉行になった葛西清重ら千葉氏系統の地頭たち、

矢作に来往して気仙千葉氏が郡司となって支配した。

葛西氏、千葉氏も南朝方に味方していたが、

結城氏が北朝方につくと、大勢に従うように北朝方に転向した。』

 ☞大船渡市史6巻、只野家(盛町)古文書より

中央での混乱が、遠い地方にまで波及していることが分かります。 


続いて、本文の内容について、主幹である住職が説明しました。

・北陸では、南朝方の畑時能が奮戦するも、肩先に矢を射込まれ戦死。

・大将の命令を重んじる ☞呉の孫子による宮中の美女を通した教練(中国故事)

・大将の決定権を重んずる ☞周の太公望による戦場での決議(中国故事)

・武士のモラルの低さ:佐々木信胤が南朝方に転向。理由は女性問題

・脇屋義助が四国・西国の大将として伊予に着くが急死。細川頼春は南朝方を打ち破る。

・楠木正成など忠臣霊団の出現

  ☞道案内を乞うた美女が突如身の丈八尺の鬼女に。

  ☞千頭王鬼となった正成が出現。

・足利直義が急病 ☞光厳上皇は石清水八幡宮にて御願書を納めた。

・光厳上皇の御幸に出会った土岐頼遠(バサラ大名)は「院か犬か」と矢を射た

  ☞激怒した直義は頼遠を処刑。


次回も、引き続き『太平記』巻第二十四~二十五を読みます。

朝廷の衰微、後醍醐天皇を慰霊するための天龍寺創建、北朝の新帝(崇光天皇)即位

といった内容となります。

10月2日(金)18時30分~20時30分、おおふなぽーと2階会議室にて行います!!


本増寺

岩手県大船渡市にある日蓮宗大船山本増寺のホームページです。 大船渡市の本増寺、住田町の本住寺、奥州市の蓮久寺、仙台市の本増寺別院の情報をUPしていきます。

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