大人の寺子屋(第2回、7月10日)

7月10日、第2回大人の寺子屋が行われました!

今回は、リアスホール1階アトリエで開催。


事務局長の永盛さんより、かわら版について説明して頂きました。

これまでの『太平記』の流れを振り返り、

鎌倉時代に続いて武家の将軍を中心とする国づくりか、

それとも平安時代のように天皇を中心とする国家となるのか、

それぞれの思惑が複雑に絡みながら、南北朝時代の争乱が起こりました。


今回は、巻第二十~二十一を読み進め、主幹である住職が説明しました。

南朝の大将軍である新田義貞が、足利高経により越前国で討死したため、

南朝の連合軍は勢いを失います。

また、八幡山城を攻めた高師直は、間者を使って落城させました。

これが、「間者(忍者)」が歴史書において初登場となります。

義良親王(のちの後村上天皇)は、結城宗広と船で奥州に向かいますが、

嵐で戻されました。

1339年8月、後醍醐天皇は吉野で崩御します。

「亡骸は吉野山の苔に埋もれても、我が霊魂は常に北方の皇居の空を望んでいる」

と遺言しました。

足利尊氏は、征夷大将軍となり幕府を開きますが、

家来たちが様々な狼藉を働きます。

佐々木道誉は、家来の狼藉を咎めた僧侶の寺院を焼き討ちし、

高師直は、塩冶高貞の妻に横恋慕し、恋文を吉田兼好(『徒然草』著者)に代筆させ、

挙句の果てに、塩冶一族を謀反の疑いをかけて高貞や妻、若君らを殺害。

倫理が崩壊した状態となり、これで良い政治ができるでしょうか?

今日の政治にも当てはまる教訓ですね。


8月はお休みになります。

次回は、9月4日(金)18時30分~20時30分です。

場所は、「おおふなぽーと」2階会議室を予定しています。

『太平記』巻第二十二~二十三を読みます。

新田義貞の弟・脇屋義助も急死し、いよいよ南朝方は劣勢となりますが、

一方で、幕府方は不祥事が続き、観応の擾乱へと続いていきます。

ご興味のある方はぜひお越し下さい!!


本増寺

岩手県大船渡市にある日蓮宗大船山本増寺のホームページです。 大船渡市の本増寺、住田町の本住寺、奥州市の蓮久寺、仙台市の本増寺別院の情報をUPしていきます。

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