大人の寺子屋(第4回、7月7日)
7月7日、第4回大人の寺子屋を開催しました!
今回は、『信長公記』巻十三を読みました。
はじめに、事務局長の永盛さんから、かわら版の説明をして頂きました。
今回は、天正8年(1580年)信長47歳の時です。
信長は、家臣に指示を出して出陣させたため、直接の出陣は少なくなります。
東国では、北条氏政と和睦し、関東八州を北条の領土として認めることで、
甲斐の武田勝頼を包囲していきます。
西国では、羽柴秀吉が三木城を落とし、播磨と但馬を平定、
徐々に毛利輝元との決戦が近づいています。
北陸では、柴田勝家が加賀や能登の一向一揆を攻略し、
越後の上杉景勝を追い詰めていきます。
畿内では、大坂の石山本願寺と和睦し、門跡の顕如は大坂から退去、
11年にもわたる石山合戦が終結します。
また、『信長公記』に記述はありませんが、
キリスタン大名で肥前の有馬晴信が洗礼を受け、キリスト教の布教が進みます。
次に、主幹である住職が本文の内容を説明しました。
羽柴秀吉は、三木城を兵糧攻めにし(「三木の干殺し」と言われます)、
さらに鳥取城でも「鳥取城の渇え殺し」と言われる兵糧攻めで城を落とします。
これまでの城攻めは一気呵成に攻め込むので、大きな被害を出していましたが、
秀吉は兵力も財力も圧倒して、敵が根を上げるのを待ち続けます。
別所長治は負けを悟り、自分の命と引き換えに城兵の助命を嘆願し、
辞世の歌を残して切腹しました。
一方で信長は、佐久間信盛・信栄父子を職務怠慢のために追放します。
結果を出せないで、言い訳ばかりしている家臣は遠ざけられました。
また、11年にもわたる石山合戦が終わり、畿内の反抗勢力は一掃されて、
堺や大坂から京都、安土への交易路が確保されます。
その後、石山本願寺は分裂し、京都に西本願寺(准如)と東本願寺(教如)が建立されます。
来月(8月)は、お盆のためお休みです。
次回は、9月1日(金)18時30分から、おおふなぽーと2階会議室で行います。
大河ドラマ『どうする家康』も見ながら、歴史を学んでいきたいですね♬
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