大人の寺子屋(第3回、6月9日)

6月9日、第3回大人の寺子屋を開催しました!

先週は、天皇皇后両陛下の陸前高田・大船渡ご訪問のため、

おおふなぽーとが使用できず、翌週に行いました。


今回は、『信長公記』巻十二を読みました。

天正7年(1579年)信長46歳のころです。

初めに、事務局長の永盛さんから、かわら版の説明をして頂きました。

明智光秀が八上城(丹波国)を攻略し、波多野兄弟を処刑、

丹波と丹後の両国を平定しました。

また、荒木村重のいる伊丹城(有岡城)を攻撃しますが、

村重は尼崎城に脱出したため、伊丹城は落城し、

妻子らは多くの歌を残して処刑されてしまいました。

徳川家康は、信長に味方する相模の北条氏政と共に、

駿河付近で武田勝頼と対峙します。

畿内や東国でも、合戦が続きます。


本文の内容について、主幹の住職が説明をしました。

信長は、安土城で新年を迎え、完成した天主閣に移ります。

ここは訳者が、天主閣の様子を原文巻六より巻十二に移して記載しています。

また、箕面の滝を見物したり、鷹狩を楽しんだりします。

二条の新邸が完成し、皇室に献上、東宮の新御所となります。

石清水八幡宮の修復に着工。

独断で伊賀に出陣し、負けて退却した次男・信雄を叱責したり、

信長の意見も聞かず、独断で備前の宇喜多直家を許した羽柴秀吉を怒ったりして、

家臣の統制を計ります。

法華宗と浄土宗の宗論(安土宗論)が行われ、

法華宗が負けとされ、他宗を誹謗しないとの誓約書を提出させます。

宗教対立による治安の悪化を恐れた政策です。

常陸の多賀谷重経から馬を、遠野の遠野孫次郎から白鷹を、

出羽から駿馬・鷹などが贈られます。


北東北は、とても優れた馬や鷹の産地として有名で、

盛んに京都へ献上されます。

今回は、北東北の雄である南部家についても説明しました。

南部家は、もとは甲斐国の領主でしたが、

源頼朝の頃に奥州征伐で岩手県北と青森南東部を所領としました。

八戸の居を構えた八戸氏が勢力を伸ばしますが、

戦国時代になると、一族の三戸氏から南部晴政が勢力を広げ、

「三日月の丸くなるまで南部領」と言われるほど領土を獲得します。

しかし、後継争いが起こると、家臣の大浦為信が津軽一帯を占拠、

後の津軽藩を起こします。

南部信直が豊臣秀吉に服従し、南部宗家として認められると、

これに反発した九戸政実が謀反を起こします。

南部利直は、徳川家康に従い、盛岡に居城を移して盛岡藩となります。

八戸氏は、清心尼が当主となり、その後は遠野に移転させられ、

苦しい状況でしたが、七戸藩、八戸藩とともに遠野南部藩として

幕末まで南部藩を支えていきます。


次回は、7月7日(金)18時半より、おおふなぽーと2階会議室で行います。

歴史を知り、先人の行いを学んで、今日の生活に活かしていきましょう♬



本増寺

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