大人の寺子屋(第8回、12月2日)
12月2日、第8回大人の寺子屋が行われました!
今回は、『信長公記』巻八を読みました。
初めに、事務局長の永盛さんから、かわら版の説明をしていただきました。
今回の注目は、武田勝頼率いる最強の騎馬隊と、
多くの鉄砲隊を備えた織田・徳川連合軍が激突した長篠の戦い。
結果は、織田・徳川軍が大勝利しますが、
鉄砲の数が三千挺で、三段構えにして鉄砲を次々撃ったという説がありますが、
『信長公記』では鉄砲千挺、馬防柵を張り巡らしたとしか記載されていません。
果たして実際の戦いはどうだったのか、今後の調査が楽しみですね。
本文の内容について、主幹である住職が説明。
天正3年(1575年)信長42歳、
各地で戦闘が絶えませんが、領内のインフラ整備を行います。
道幅3間半(約6m)の道路を造り、関所を撤廃、瀬田橋を建設を実施。
また公家領を救済するために「徳政令」発令し、
身障者の乞食「山中の猿」には情けを掛けて、町の者が世話するように頼みます。
武田勝頼が、三河・足助方面攻め、長篠城を包囲。
5月21日、織田・徳川軍は設楽原に布陣し、三重の馬防柵を作り、鉄砲千挺を配置。
徳川の家臣・酒井忠次ら4千人が奇襲し、長篠城を囲む武田軍を追い払います。
武田軍の騎馬隊は、山県昌景・武田信廉・小幡一党・武田信豊・馬場信春が
攻め寄せますが、鉄砲隊の餌食となり次々と撃たれて1万ほど討ち死に。
織田・徳川軍の損害は最少でした。
また、加賀・越前国を平定し、越前国を柴田勝家に統治させ、
不破・佐々・前田3人に監察させ、「掟」(訓令)を発令しました。
京では、7月に町衆が妙顕寺で能の会を催し、信長を招待し、
10月には、信長が妙覚寺で茶の湯の会を催し、京・堺の茶人17人を招待、
茶頭は千宗易(後の利休)が務めます。
信長は、権大納言兼右大将に任命。
嫡男・信忠は、武田方の美濃・岩村城を攻めて落城させる活躍をし、
秋田城介に任命されます。
信長は、信忠に家督を譲ります。
今年は、今回で終わりとなります。
来年度は、『信長公記』巻九から本能寺の変など最終巻まで読む予定です。
次回は、令和5年4月7日(金)18時30分から20時30分、
おおふなぽーと(防災観光交流センター)2階会議室で行います。
興味のある方は、ぜひご連絡ください♬
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