大人の寺子屋(第3回、6月3日)
6月3日、第3回大人の寺子屋が行われました!
今回は、『信長公記』巻一~二を読みました。
最初に、事務局長の永盛さんから、かわら版の説明をして頂きました。
巻一では、13代将軍・足利義輝が殺される事件(永禄の変)から始まります。
しかし、次の14代将軍・足利義栄(よしひで)については記述されていません。
父・義維(よしつな)は、権力争いに敗れて阿波・平島(ひらしま)に
義栄とともに逃れます。
永禄の変(1565年)で京都が混乱し、約3年間も将軍の空位が続きました。
阿波三好家とともに義栄は京に上り、永禄11年(1568年)2月に征夷大将軍となります。
しかし、織田信長とともに足利義昭が上洛したため阿波に逃げ、
間もなく病死してしまいます(享年31)。
在位は約8~9か月間で、没月は不明のままです。
また疑問点として、なぜ「ルイス・フロイスにキリスト教の布教を許可」したという
記述がないのか?
なぜ、信長の歴史的業績の一つ「関所の廃止」の詳述がないのか?
いろいろ調べることがありますね。
次に、主幹である住職から本文の内容について説明しました。
永禄8年(1565年)三好義継(よしつぐ)が将軍御所に攻め入り、
足利義輝と弟・周暠(しゅうこう)を殺害。
義輝の弟・義昭は奈良・興福寺を脱出し、近江・六角氏を頼るが追い出され、
越前・朝倉氏を頼るが、上洛する意志のない朝倉氏を見限り、信長を頼ります。
永禄11年、義昭は信長の支援を受けて上洛し、征夷大将軍に(15代将軍)。
信長は、三好親子が立て籠る城を攻めて陥落させ、畿内隣国を支配。
身分の別なく自由に往来できるよう、領内や伊勢国の関所を廃止。
永禄12年(1569年)三好三人衆らが、将軍御所としていた六条・本国寺を攻めるが、
細川藤賢・明智光秀らにより追い払らわれた(六条の合戦)。
信長は十四か国の大名を呼び、二条に将軍御所の建立と内裏の修復をしました。
伊勢国の北畠親子を攻めて降伏させ、伊勢を平定。
伊勢神宮に参拝しました。
次回は、7月1日(金)18時30分より、おおふなぽーと2階会議室で行います♬
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