大人の寺子屋(第3回、6月4日)
6月4日、第3回大人の寺子屋が開催されました!
今回は、『太平記』巻第三十三を読みました。
はじめに、事務局長の永盛さんから、かわら版の説明をして頂きました。
長引く合戦によって京は荒廃し、朝廷の公家は家を失い生活は貧する一方、
武家は勢力を広げて贅沢な暮らしを送る隆盛期となります。
また『太平記』の主役である足利尊氏が病死。
義詮が将軍を継承するが、九州でも戦いが起こり、戦乱はまだまだ続く・・・。
続いて、主幹である住職が本文の内容を説明しました。
南朝軍の敗退により、北朝の天皇家(光厳・光明・崇光の三上皇)は
南朝に幽閉されていましたが、ようやく吉野の奥(賀名生)から京に還幸します。
東寺合戦によって、公家の邸宅は勿論、京の民家も残らず焼かれたため、
民衆は飢えに苦しみますが、武家は贅沢な生活を送ります。
争乱が続く最中、足利尊氏は悪性腫瘍によって逝去(54歳)。
九州では、南朝の懐良親王・菊池武光と北朝の少弐頼尚が激しく戦い、
死傷者が多く出て、両軍とも兵を引き上げました(筑後川の戦い)。
越後国に潜んでいた新田義興(義貞の子)が武蔵国矢口から川を渡ろうとして、
騙し討ちに遭い、無念にも自害します(28歳)。
騙した江戸は、後に狂い死にしてしまいます。
そこで、民衆は新田神社を建てて霊を慰めます。
足利尊氏の性格として、夢窓疎石は以下の3点を讃えました(『梅松論』)。
①死を恐れぬ勇気、
②物惜しみしない寛大さ、
③敵や裏切り者すら許す慈悲
功績を上げた者には、即座に恩賞を約束する下文を与えることで、
家臣たちは「命を忘れて死を争い、勇み戦うことを思わない者はいない」
これが尊氏最大の人間的魅力です。
また、尊氏を逆賊とする評価もあります。
江戸時代に徳川光圀が創始した水戸学では、
正統な天皇である後醍醐天皇を放逐した尊氏は逆賊として否定的に描かれます。
幕末期、尊皇攘夷論者によって等持院の足利三代(尊氏・義詮・義満)の木像が
梟首される事件も発生します。
足利尊氏の肖像画は、騎馬に乗った武者姿とされて教科書にも掲載されていましたが、
尊氏本人ではないとされ、現在は広島県浄土寺所蔵の「絹本著色足利尊氏将軍画像」
が有力とされています。
他にも、大分県安国寺所蔵「木造足利尊氏坐像」があり、
また2017年発見の肖像画(所蔵は個人)も尊氏ではないかとされています。
足利尊氏はさまざまな評価をされていますが、
戦乱を収めようとした一時代のトップリーダーでありました。
次回、第4回大人の寺子屋は、
7月2日(金)午後6時30分から、おおふなぽーと2階会議室で行います♬
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